衝動文。

2004年11月18日 摂食障害
自分では許せない。

自分では認められない。

自分では愛せない。


だけど他人に認められれば自分でも認められるような気がした。

が、それはとても怖いことだと気づいた。

自分で認められないことを他人に受け入れられること。

それは、怖いことだ。

こんなに嫌悪してること、他人に受け入れられることによって曖昧になってしまうかも。

曖昧になってぼやけてしまった世界でしかあたしは笑えないのかも。

その人によって確かに自分でも受け入れられるようになるかもしれない。

でもそれは、どこかで大切な何かを忘れてる様な気がしてならない。怖い。

自分を嫌悪する為の要素なんて大切とは言えないのに

どこかで大切な何かになってる。

何故か。それはあたしにはわからない。


こんな醜い存在を認められるか?

まァ無理な話だろう。

彼と会ってる時は現実逃避にすぎない。


その事実がまた悲しい。

どうして許せないのか。どうして認めてあげれないのか。どうして愛せないのか。

嫌いだ。嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い。

今もこうして文字で自分を卑下することにより自分を責め立ててる。

一体自分は何をしたいのか。

自分は何なのか。誰なのか。何者なのか。

今こうしてPCの前でタイピングしてるのは本当に自分なのか。

それさえもハッキリとわからないような。

鏡の前にたって、本当にこれは自分なのかと異様な感覚がある。

それはきっと鏡に映ってる彼女が自分でないことを心底願ってるからだろう。

それでも鏡の中の彼女はあたしで、落胆するしかない。

昔みたいに鏡を割っても何の解決にもならない。

いくら嘆いても現実は変わらない。

だからあたしはもう見ない。

ひたすら現実逃避をするだけ。

そして確実な解決法に惹かれるだけ。

消えたいなんて、もう言わない。消えるから。


結果を急ぎすぎてるのか。

いや、そうじゃないだろう。

今この社会の流れは速い。その中に生きる人間たちの歩みも速い。

あたしは休みすぎた。自分のことにとらわれすぎて社会に取り残された。

あたしの時計は止まったままだ。

バランスがうまくとれないなんて、致命的だね。

やってけないね。



愛されれば解決するものじゃない。

他人に認められれば解決するものでもない。

それに気づいた。


結局は自分でどうにかするしかない。

苦しみを他人にあげることなんかできない。

背負わすこともできない。

本人から発生する色んなマイナスを周囲が被ることにはなったりするが、

摂食障害の苦しみは本人一人がすべて背負う。

それが事実だ。代わることなどできない。

摂食障害だけに言えることじゃないが。



自分が嫌いだ。

でもそれと同時に人間が嫌いだ。

この世界が嫌いだ。

何も感じたくない。

前へ歩く足がない。

絶望。

無の世界。



事実はそれだけだ。

馬鹿らしい。

希望は無い。


気持ち悪い。



そして申し訳ない。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

日記内を検索